サウジアラビア人なんなの?

サウジアラビアに生まれなくてほんとに良かった、

この国わけわかめなニュースばっかだわ。

こことイラン、クウェート、あとなんとかって国は酒とかナンパで鞭打ちに死刑

とか原始的なことをしてる

 

news.yahoo.co.jp

ビットコインCASH?

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以前は1日4時間くらいしか寝ないでトレードをしてましたが、最近あまり相場を見なくなりました。


リップルにgood ニュースか


www.youtube.com

大暴落

全通貨大暴落でしたね、今は少し暖まって来たかなという感じです。

ゴールデンウィーク前の相場に逆戻り

そんな中一部ネットで噂になっているこの
イルミナティカード

あの通貨ではないかとのこと!


altcoins.blue

ちなみに僕もリップルは買ってます

ビットコイン、ハードフォークでもめたりとか
どこが非中央集権なんだと思いますね。

こちらが今起きてる事についてわかりやすく書かれています。


okanefuyasuzo.muragon.com

ビットコイン関連

仮想通貨で給与支払い、イギリスでも開始

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8月のビットコイン分裂懸念に備えスイスの取引所は取引一時停止予定

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仮想通貨で支払いができるデビットカードのおすすめをランキング形式でご紹介。

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仮想通貨投資の税金対策!個人が賢く節税する為の3つのアイデア

www.about-higashimikuni.com

抑圧からの解放

依存症は私たち人間に特有の基本的な問題だ。それは、必ずしもアルコールやドラッグに対する依存である必要はない。

 

私なら、どんなものであれ、制御不能で強迫的で止まることがなく破壊的であるように感じられる習慣的な行為あるいは物質の摂取のことを、依存症と定義するだろう。依存症は、それを止めたいという欲求と、続けたいという欲求との間での内面的な葛藤をしばしば伴うが、そのどちらもが、〈ここ・今〉の現在の現実性からの逃避だ。

 

この現在の現実性からの逃避は、つねに、より望ましいものだと想像するものへと向かう動きとなっている。

 

それが中毒性の快楽であっても、依存症から自由になるという夢であっても。止めようと努力することは、依存症の一部だ (そしてそうすることは、実際に止めることとは異なる) 。

依存症は、私たちが自発的にやっていると考えたがるような行為を、
明らかに無意識に強迫的に行なってしまうということに関係している。

 

そのため、依存症というものは、選択と自由意志という問題全体を探究するための素晴らしい機会となる。

依存症という言葉を最も広い意味でとらえれば、この探究はほぼ全員に役に立つものとなるのだ。

 

善かれと思って考えた新年の決意をすべてきちんと実行したと言える人も、結局は有害だったり満足感が得られなかったりした快楽を一度も追い求めたことがないと言える人も、ほとんどいないだろう。

 

ほぼすべての人は、苦しみを生むような思考の中毒になっているし、通常なら健全な行為であるはずの食、セックス、あるいは仕事といったことと依存的な関わり方をしている人も沢山いる。

 

地球規模で言えば、米国にいる私たちは石油に依存しているし、世界は全体として衝突と戦争の痛ましいサイクルの中毒になっているように思える。

 

人類のほとんどは、コントロールという幻想の中毒になっていて、これが「私」であるとして同一化しているこの見かけ上の形として生き残ることに中毒になっている。

程度の差こそあれ、依存症というのは私たち誰もが知っていることなのだ。

 

快楽を求め痛みを避けようとすることは生き残りの仕組みであり、それは純粋に生物学的に言えば全くおかしいことではない。

だが、自分が死ぬまで喫煙したり飲酒したりする動物は他にはいない。

資本主義消費社会は、実のところ依存症を奨励している。

 

1930年代にリーマン・ブラザーズに勤めていたウォール・ストリートの銀行員だったポール・メイザーは、ドキュメンタリーの中でこう言ったとされている。

 

「我々はアメリカを必要の文化から欲望の文化へと転換しなければならない。人々は、欲望を持つように、新しいものを欲しがるように、調教されなければならない。
古いものが完全に消耗していない時であっても。人の欲望が、人の必要をつまらないものにしないといけないのだ」

 

広告業界は、それは私たち人間の性質の現れであるが、政治から霊性に至るまでの現代生活のほとんどすべての側面において欠乏感を創り出し、

それからその欠乏感を満たすために、私たちには実際は必要なく、本当のところは私たちを幸せにもしないものを勧めることに専念してきたのだ。

 

おそらく、最も根本的な人間の中毒とは、「私」というストーリーへの中毒だ。
その「私」は、自由意志を与えられていて、意識の分離した見かけ上の一単位で、独立した身体・精神の内側に閉じ込められていて、

なじみのない外側の世界を眺めていると信じられている。「私」というこの空想上の視点、断片化した世界の中の一つの断片の視点からすると、つねに幸福 (あるいは愛、歓び、平安、自由) が欠けていて、それを探し求めているという感覚がある。

 

探し求めているものは、いつもどこか「別の場所」にあるのだとされる。

 

おそらく、この分離という考え・感覚が、人間が快楽を求め苦痛を避けようとする上でうまく機能しないあらゆるやり方の原因になっている。

〜awake in the heartlandより

 

僕自身AAメンバーだが、今はミーティングを何年も離れている
だいぶ回復して、飲酒が自分の取るに足らない問題だと錯覚する日々が続いていたある日、

他のメンバーの嫉妬によるネットでの嫌がらせなどを受け、ミーティングに行かなくなった時に再び飲みすぎて酔っているとこを詐欺に合い財産を奪われた

 

この出来事で再び山型飲酒のスイッチが入り、今まで回復していたものも台無しになり、ミーティングにも行けず、再び頭が全然回らなくなってきて考えることが出来なくなっていた。

 

仕事は個人で進めている事があったので辞めたのだが、かなり頭を使うことなのでそれも出来なくなった。

 

医者に行くと、「入院して大人しくしてるか、またリハビリ施設に行く?」

 

と提案された。結局日本ではそれしかない。


違いはあれど苦しんでいるのはなにもアディクトだけではないはずだ、みんなどうやって苦しみを乗り越えてるのだろうと思った。

日本の精神医療のやり方は信用できないし、

病院のプログラムに従う気もなかった。

 

そこで、インドや東南アジアに行くことにした、酒が悪いとされてる国にも行ってみたかった。

日本くらいがCMでアルコール飲料を煽っているという事も不思議だった

 

そこで気づいたことは

努力をして何かを成し遂げたいという
夢や希望に対するような衝動と、身を滅ぼすような嗜癖への衝動は同じエネルギーだということ

 

awake in the heartland
を訳したブログからの引用にもある通り、ここに依存症回復のヒントがある

 

f:id:yantra:20170714145812p:image

 

 

resonanz360.com


あくまでも一つの側面ではあるが、広告業界を始めとした社会は

 

「そのままじゃ駄目だ、
今のあなたのままでは駄目だ」

 

というメッセージをあらゆる手段を使って訴えてくる世界であり、

ビジネスのために大衆をコントロールしている。

 

もちろん人間生きてるし、成りたいものになる為の成長は必要で、実際そういう人を敬っていることを前提として書き進めるが、一方で、生きていく成長の過程で何かにすがらないと生きて行けなくなる人もいる。

 

大抵は機能不全家族が原因である。

 

嗜癖を治そうと様々な事をするたびに打ち砕かれ、さらに酷くなっていく事象については全く理解されないどころか、逆に人は常に社会に貢献してなければ許されないという風潮がある 

 

自分が何か大きな物の一部であることをなんとなく知っていて、シンプルに暮らしていた昔と違い個人の時代になってきている今、

個人のコントロールしたいという欲求が強くなっている。

これは比較や競争から生まれる。

人間誰しもなにかをコントロールしたいのである。

 

それは家族間から始まる人間関係や、印象、時間、体重にいたるまで様々である。

また個人の間でも、そのままじゃいけないよというメッセージの背景には、その人が持つ正義感によって心配だからと言う場合もあれば

こいつを同じように苦しませたい、気に食わないといった、なにか物足りないハングリーなエネルギーを持つ人もいる。

これもコントロール欲求や支配欲であり、こういった人は自分も苦しんでる事に気付いていない。

だから僕は他の人が幸せであることを凄く望んでいる。八つ当たりは困りますのだ、殴られたりクレジットカード勝手に使われちゃ困りますのだよろしく

 

思えば、何十人もの依存症の仲間が、自殺、スリップ(再飲酒などで止まらなくなること)で死んでいった

うまく飲める人はまさかアルコールを飲み続けたら死ぬとは思わないが、飲み続けていると急性でないにも関わらずある日突然死ぬ、朝には目立った外傷はなく冷たくなっていることが多い。

単純に考えて醤油を一気飲みしても死ぬと言われているので当然と言えば当然かもしれない

自分の持っている"気"が亡くなってしまう霊的なことが原因だが、たいていは心不全てことで片付けられてしまう。

 

お年寄りだからではなく、僕の知る限り早くて30代前半からで、「〜さん朝冷たくなっていたらしいよ。」

といったことを頻繁に耳にしたし、
実際、飲み続けて立てなくなり、取り憑かれたように飲み続けてそのまま逝ってしまった人もいて、悲惨すぎるアディクトの人達を散々見てきた。

その人の父親がその様子を亡くなるまでずーっと写真に収めていたのだけれど、飲酒により臓器や心臓にだいぶ異常がある人だったので、吐血や黄疸が酷かった。

 

その人は「絶対自分を曲げるな」とよく言ってたけどあまりピンと来なかった、でも何かが悔しいのは良く伝わってきた。

こういった、食べることも出来なくなり一人孤独に闘って死んで行く人とミーティングでサバイブしながらも生きて行く人との違いは素直さではないだろうか。 

 

苦しみとは執着である、とお釈迦様は言ったそうだ。

 

仏壇の前で、お線香をあげる時に、その悲惨な何百枚もの写真を見せてもらってお前もこんなになったらダメだとキツく言われた事をよく覚えている

自分もこれは死ぬと思った所までいったこともある。もしあの時高い所にいたらジャンプしていたと思うくらい、アルコールは切らすとキツかった、そんでその時の衝動は自分の意思とは関係なく勝手に起こってきた、よく覚えていないが。 

 

冷たくなって亡くなった人は、もういいやと思った時に自分の持つ"気"が無くなるらしい。

 

 冗談でなく教会でパトラッシュが横にいるレベルのことが起きているのだ。

 

何故そんなになるまで飲んでしまうのか?

みんな良かれと思って、与えられた環境の中で出来ると信じた目の前の事をただこなして行っただけじゃないのか

 

アルコホーリクスアノニマスには今日一日というスローガンがある

今日一日だけは飲まない事、それを毎日続けていこうということだが、飲みたい衝動が来たら結局は、

“今この瞬間、無意識的に襲ってくる脅迫観念をどうするか"なのである

 

この“どうしたら”をずーっと続けて来た気がする。

あそこへ行けば、〜すれば、環境を変えれば.....


答えというわけではないけれど、自分の感情に対する責任を持つことは重要だと思う。

 

そしてただ、探すのをやめる


ただ有る、Do ではなく Be

明け渡す、サレンダー、降伏、降参、無抵抗

ただ静かに座り目を瞑って

自分を特定の定義の中に見出すことをやめる。

生きてれば迷惑は多少掛け合うものだし、
完全であろうとしないこと。


特に自分が忠実に、自分だと思ってるその何か実態なんてないものに、自分の納得する物語やなんかを与えないで、ただその奥にあるもっとリアリティーのある存在に気づくこと

 

ASKAさんも、そこ捨てちゃえば犯人を追い回さなくていいのにと思うけど、それをやめてしまうと自分が自分でなくなってしまう恐怖があるのだろうか、そもそもああいう集団は間違いなくいる。

 

僕は諦めてパソコンを破壊した過去がある、

追えば追うほどそうなって行く世界だからあれは。引き寄せの骨頂とでも言いたい。

 

ASKAさんの場合はナルコティクスアノニマスのミーティングに行ってたと思う。

実は同じ病院に僕も入院していて、条件反射プログラムを受けたが今思い出しても悔しい、バカなプログラムだった。僕たちはロボットじゃありません。

あの病院のおぞましいやり方、えぐさを

一般に公開したらどうなるだろうと思う。

 

治療方針として、患者に対して

機能不全家族、ACなのにも関わらず)"罰を与える事"が基本概念にある。

 

 

ナルコティクスアノニマスもアルコールの方とほぼ一緒の概念と伝統を持つが、あれだけの才能を持った上に、もう本人も楽しんでしまっているため、大事な底つきができないのでいつ終わるんだろうと思いながら応援している、昔からファンでもある。

 

ただし入れ替わるのは、みつはと滝君だけでじゅうぶんなので次回はお茶はお茶のまま、sicco もそのままありのまま自分らしくいさせてあげてほしい

 

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 自分も人を傷つけたが、何よりも自分が1番自分を追い込んで傷つけて来たので、思考を眺めて明け渡すことなどは、自分にとってとんでもない逆説だった

 

人はよく自分を変える事が重要だというが、

明け渡すことで本来の自分に還ることは、生きて行く過程で、トラウマなどによって身につけていった、"こんな事が起きたから二度と起きないようにこうせねばならない"といったような

、一見最もらしく見えるが実は本来の自分の求めていることとは違う観念から自分を取り戻させてくれる。

 

実際は、なにかをコントロールしようとしないで、じっとして、あたまに浮かび上がらせるままにすることは難しい、結局未解決の事がじっとしてると湧いてくる。

この時それを浮かび上がらせてるのは誰なんだって話になるが今は触れないでおこう。

 

マイナスは、まずは1度0に戻さなければ1にはならないことと同じように本来の自分に戻れば、不思議と

"これでいいのだ"という気持ちになる

 まずは癒やすことから始める。

安定をせずに混乱したまま進むと混乱したものを引き寄せるので、結局向き合うべきところに戻らざるを得ない。

 

 

 AAのステップ1は
"自分はアルコールに対して無力であり、
生きる事がどうしようもなくなったことを認めた"である。

 

このステップ1が全てだと言う人もいる。
自分が無力だと認めないことには回復はスタート地点にすらたどり着けない。
自分がまだ何か出来るんだという希望は底つき体験の足かせになる


だからアディクトにとっては自ら掘ってでも底つき体験が必要になってくる

 

アルコール依存症は否認の病気と言われる。

自分が依存症であると認めたくないからだ。

どちらかというとアルコール依存症という言葉より、

"生きて行く事がどうにもならなくなったこと"

を認めるのが大事だ。

 

名前自体は最近では

"アルコール使用障害"という方が正しい。

 

 

このステップ1はまさに禅の思想だと思った

この瞬間に全てを明け渡し、自分より大きな力を信じる、ハイヤーパワー、宇宙の流れを信頼する。

10年くらい前、とある施設に入る時に施設長は、おまかせでいい、と言っていた。


当時は宇宙におまかせとか完全にイッちゃってるスタンスだと思っていたが、今なら意味がわかる。

 

この無力を認め、社会から遠ざかる事に対して、努力してないだの、バカだの色々言われたこともあるが

 

わたくし

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むりょくどぇーすq(q'∀`*)

 

 

 

 


そして仲間は言っていた、自分でなんとかするのを諦めてミーティングに出さえすれば話しを聞こうが聞くまいが、何か不思議な力が働いて飲酒欲求が収まる、と。

これは言葉通じなくてもそうなのかなと思ったが、確かにそうかもしれない

仲間を結ぶ見えない波があると思う、自分が自分に正直でいさえすれば、の話しだが。

オーストラリア、チェコ、インド、なんとイスラム教のトルコ、エジプトまでにも
アルコホーリクスアノニマスはあった。


そして結局のところ、自分の抑圧していた感情とどう向き合うか、ということにつきる

いくら自分の望むような展開や、望むものが手に入っても、"これでいいのだ"と思えないことや、目的や意図したことをやり切っても何か余計に罪悪感に蝕まれるのは、感情を抑圧してきたからだ 。

 

上手く飲酒や嗜癖をコントロールできる人とできない人の違いは、感情を上手く人に話したりして解放して来たかということになる、空間を共有し、ただ誰かと過ごすだけで具体的な事に触れなくてもエネルギーは人に与えらるし、もらえるものだという事も深い意味で理解した。

 


僕の先生の先生は、この人生でバケツ一杯程度のカルマを掃除出来れば十分だということを言っていた

 

うちの家系は基本バカ真面目で常に我慢の性格の人が多かったらしく、ようはバカも真面目にやる。4つ前の先祖だけ好き勝手な浮浪者みたいなロン毛の熊吉だか変なオッさんがいたらしい。


多分全員の我慢の限界、僕はその、未完了の感情を背負っている

なぜなら記憶は脳だけにあるのではなくフラクタルに身体の細胞全部にある。

父親のDNA,カルマ+母親の身体の記憶。

先祖代々の、いわゆるストレスに対し、

我慢したり、「DNQが〜」と相手を心の底でバカにしてるような同じ反応をしていたらこの先はないよということをわからす為、それを学ぶためにいつも同じ出来事が起こる。

 

逆に感情を抑えた方がいいカルマの家系もあるので、、ずうずうしい人いますからね、人殴ったり金巻き上げたり詐欺師のくせに希望だの努力行動力で夢つかむだの。

僕は昔からよくふくろにされたり、絡まれたりめちゃくちゃ殴られるので、なにが原因かといつも考えていた。

 

そういった原因を探らず、我慢しつつ被害者意識を持ちながら歩いていると、こうしたカルマの解消の為に、"殴って人の痛みを学びたい側”をさらに引き寄せる事になるんだと気づいた。

 

心の底では感情を開放したいと思っているので、ベストなタイミングでベストなバカが僕を殴る蹴るという仕組みだ。

 

もっとわかりやすく言おう、正義の味方になるんだと具体的な目標を持たずに

志だけは強いやつがいたとして、引き寄せる力だけ強いと、同じく弱いもの

いじめたいモブキャラがその願いを叶えてくれるということだ。

 

実際叔父は我慢の限界で自ら凄いやり方で自死を遂げてしまった、僕がスリップする数ヶ月前に。

 

結局のところ自分が生きてたら迷惑だからということだ。
誰もそんなこと思ってなかったのだが。

今となっては遅いが、もっと話しを聞いてあげれば良かったと思う。

 

自殺はよくない、先生が言っていたのは、

「身体があるから嫌だという感情も手足をバタバタさせたりして表現、

気を紛らわす様々な行動ができるが、その身体がないとなると苦しいでしょ」

 

ということだった。実際自分が死んだことに気づかない人は数多くいるらしい。

自分が死んだかな、おもったら、光の射す方へ行けば間違いない、とも言っていた。

 

 

自分と向き合う方法は人それぞれだけど、
自分なりにやっと見つけた気がする

 感情の抑圧について昨日こんな記事があった

僕がこんな事書かなくてもわかりやすく書いてある

 

ameblo.jp

 

自分になにが出来て、なにが出来ないのか見極めて、したらそれに向かって全力投球

 

変えられないものを受け入れる落ちつきを

変えられるものは変えて行ける勇気を

そして、その二つを見分ける賢さを


というこの祈りは、いつもじゃないけど、僕に安心を与えてくれる

 

(ニーバーの祈り)

 

 ようは自分は以前のような

朝から晩まで毎日飲むような連続飲酒に、

もう戻らないと言い切る事は出来ないが、

確実にアルコールへの執着がない。

 

僕の身体にとってアルコールは、

1杯では多すぎて1000杯では足りない、という状況になってしまった今

二度と美味しくお酒を嗜むということはできなくなった。

ピクルスはきゅうりには戻れないからだ。

 

でも、最近になってやっとそれを受け入れることができた。

 

以後は何故そうなったかについて具体的なことを詳しく書いて行きたい。